なにについて討論したのかというと、『人との付き合い方』です。
人は『機械』なのか、『愛情のある動物』なのか、
私は人は損得勘定のみで動く機械なのではないかと思う。
だからバイトの上司に注意されれば「自分の都合で怒りやがって」と思ってしまうのです。
妥当な怒られ方をしたとしても結局は上司のためであり、愛の鞭というべきものは存在しないのではないかと感じるのです。
人は誰しも自分の思いどうりにしたいと思っているはずです、フロイトも『イド』という人間の根底にはあると考えているのです。
要するに欲求のままに動きたいと思うのを、無理をして、『自我』『超自我』でおさえているのです。
よって、根本的には欲求なのです。
怒りたくておこっているのです。
そう思えてならないのです。
しかし、父はこう言います。
『怒っている上司にも家族がおり、仕事場以外の環境でも生きている。その場だけでその人を判断してはならないし、そうするとON・OFF志向になってうまくいかない。もっと愛情を持つべきだ。』と。
私にはそれが出来ない変なのだろうか・・・
1・2・3、だぁああああああ!!
0 件のコメント:
コメントを投稿